夜間大学院で博士号を取るつもり

博士課程後期の日記、読書、しがない勉強の様子

processing の練習_1

最近、データヴィジュアライザーションに興味を持つようになった。
というか、データサイエンティストとしてトップに立つことは数学の才能のない自分にはどうにも無理筋なので、

  • 統計学 60 点
  • 文系的教養 60 点
  • データ可視化 60 点

と、それぞれで 60 点くらいを取り、合わせ技で独特のポジションを得ることを考えている。
邪といえば邪だが、同じ土壌で戦うのも馬鹿げているではないか。

その一環として、processing の本などを買ってきた。60 点を目指してそのあたりの分野の乱読を目指している。
(ちょっとだけ、普通のデータサイエンティストの人たちがやらないような分野を目指してもいる)

[普及版]ジェネラティブ・アート―Processingによる実践ガイド

[普及版]ジェネラティブ・アート―Processingによる実践ガイド

情報としてはほとんど価値がなく、あくまでも自分の勉強メモとして、記録を残す。

下の画像は、線の明暗を x 位置で周期的に変えて、作成した縞模様。

f:id:tom-manabe:20170331170924j:plain

明るさ 127 の中間から始まり、 x 座標が 1 増えるごとに、サインカーブに従って明るさが変化するようにしている。
画面の幅は 360 なので、そのままだと 1 周期しかないため、ラジアン変換後に 10 倍して、10 周期にしている。

size(360,300);
background(255);

for (int x = 0; x <= width; x += 1) {
  stroke(127+sin(10*radians(x))*127);
  line(x,10,x,290);
}

この明るさの変化の様子をグラフで示すと次のようになる.
明るさ 0 で黒、254 (本当の明るさの最大値は 255 だけど、127 の平均値に対して ± 127 で変化させている).

f:id:tom-manabe:20170331172920j:plain

続いて、R, G, B の色それぞれを、5 周期、2.5 周期、1 周期で x の値に従って変化させ、その配合色を配置してみました.

size(360,250);
background(255);

for (int x = 0; x <= width; x += 1) {
  stroke(127+sin(5*radians(x))*127,
  127+sin(2.5*radians(x))*127,
  127+sin(radians(x))*127);
  line(x,0,x,height);
}

f:id:tom-manabe:20170331174848j:plain

グラフで表現すると次のようになります。

f:id:tom-manabe:20170331175147j:plain

まあこれだと、全色のパターンをグラデーションで表現することはできていないわけで、それはどうやって描いたらいいんだろ。
互いの周期をもっと近づければいいのかな。

マインドフルネス

 思考の癖を、認知行動療法で改善することを目標とし、ネガティブな自己評価を予言として成就させないように、「できたことを数える」「親切にしてくれた人のことを考える」と言う思考パターンを習慣づけることにより、自己評価を、「自分は物事を楽しみ、仕事をするために十分な知性を持っている」「自分は人から信頼され、仲良くできる」といったものに変えていく試みは、しばらく続けようと思うが、そもそも、そのようなメタ認知を持たずに、目の前のものに熱中していられれば、最も幸福なのではないか。

 ラッセルが「幸福論」で書くように、人間は何らかの外界の課題に我を忘れて取り組んでいる時が最も充実しているのであり、「ここではないどこか」に思いを馳せている状態は、忘我の幸福からは離れてしまっているのであろう。フロー体験等の概念も最近時折耳にするが、集中している時のあの、直面している課題と一体となり、自分自身のことや悩みが消失してしまっているあの感じ、あの感じこそが幸福なのだと言われれば、確かにそうなのかもしれないと思う。

 実際、下の動画によれば、うつ病になると人は集中力が低下し、新聞などが読めなくなるそうで、これは思考の「反芻」、つまり自分自身のことを考えてしまったり、過去の記憶を思い出したり、あるいは、その集中の阻害により「新聞が頭に入らない自分はやはり頭が悪い」と自己再帰的な認識が起きることによるそうだ。

 これは自分にも若干心当たりがあるので恐ろしい。


認知行動療法の基礎と展開7

 つまり集中できなくなることと、憂鬱な自己評価は、表裏一体の関係、または卵が先か鶏が先か、の関係にあるのかもしれないのだ。だとすれば、「集中」することを訓練することで、憂鬱な自己評価から解き放たれる可能性がある。

 集中するためのメソッドに「マインドフルネス」があり、これは目の前の感覚、呼吸や自分の身体の感覚に集中することで、思考を止める訓練をすると言うものだ。

 なぜ思考がよくないのかといえば、思考はそもそもその性質が、現実の一面的解釈であり、何らかの自己正当化を隠された動機においている。ビビリの習性だからだ。これを止めるためには、「考えないようにする」ことはむしろ逆効果で、自分がそう言う思考をしてしまっていることを認識したら、それ以上考えることを「手放し」、目の前の感覚に戻る。この感覚を身につけるために、マインドフルネスの瞑想があるらしい。

 思考を放っておくことができるようになると、智慧が生じると言う。智慧とは、「無情」「苦」「無我」からなり、つまり「思考」による妄想(目の前にないことの拡大、執着)を放置し、集中という幸福のテリトリーを広げられるようになるということだ。

 この練習が瞑想で可能になるのであれば、ぜひ獲得したいメソッドである。

身体感覚、思考、感情などの全ての私的出来事に、気づきが触れることで、それ以上発展せずに消えていくことを繰り返し確認する

 上記で紹介された瞑想法は実践するとして、瞬間への集中こそが幸福への道というコンセプトのもと、いかにして集中の持続時間を長くしていくか、そのトレーニングを追求したい。

 そして、メタ認知なんて、ネガティブであれポジティブであれ、複雑な現実の一面的な理解に過ぎず、現実そのものではないのだから、だとすれば便宜的に、ポジティブな妄想を採用した方が良いということになる。自己評価はポジティブにしておいて、ネガティブな自己評価に集中力を阻害されないようにしておき、集中へのエネルギーを蓄えた方が合理的であろう。

自分のルールを変える

 自尊心が低いことの最大の弊害は、自分に対する低い予測が、自己予言として成就してしまうことにある。

 例えば、「自分は頭が悪い」と自分を評価したとする。その認知をベースに、「頭が悪い」ことを示す証拠のみを集めてしまうようになるため、結果として「頭が悪い」という予言を叶えてしまうことになる。この悪循環が人間の認知の歪みと癖を定着させ、陰鬱な人間を作り上げていく。「もてない」とか、「才能がない」なども同様であろう。

自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法

自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法

 

  この本では、自分に対するネガティブな思い込みから脱却し、より生産的に生きるための認知療法上のメソッドが紹介されているが、実践的で自分にはかなり有益であった。

 自分に対する評価(「頭が悪い」など)は、なぜ下されるのか。行き過ぎた完璧主義からの反動か。またはそのように考えることで、何らかの責任・コミットメントから逃げているのか。

 ともあれ、このような考え方が人を幸福にしないことは恐らく事実であり、ここでいう幸福とは、単純に「日々を楽しく生きる」ということだが、ネガティブな自己評価はそのような幸福感から自身を阻害してしまう。アラン(だっけ?)の言うように、「人は幸福になる義務がある」のであって、幸福でない状態は周囲の人間も巻き込んでトラブルを引き起こしたりもするのでよろしくない。

 

 このような自分への「最終結論」を変えるために、まず最終結論の妥当性をチェックし、別の結論を引き出す必要がある。

 「自分は頭が悪い」と考えていたとする。その証拠として、「学歴が低い」「本の理解速度が遅い」「試験に落ちた」などがあるかもしれない。確かに、過去、入学試験などに失敗したことは事実であろう。だが、一度の試験くらいで人の知性は決定されないし、知性の評価軸はその試験によるものだけではないであろう。自分の興味のあることを勝手に掘り下げていけばいいし、その分野で他者と交流したりし、資格試験に挑戦したりして、知性を磨いていけば良い。

 「もてない」についても同様で、本当に誰からも暖かい言葉をかけられることがなかったか。好意を示してくれる人はいなかったのか。恐らくそんなことはないのであり、人から褒められたこと、優しくしてくれた人のことを考え、そうしてくれた人たちのためにも、「もてない」などと言わないこと。

 

 つまり、できなかったことよりも、できたことを数えるように習慣づけ、最終結論を、

「自分は十分に知性的であり、人生を楽しむことができる」

「自分は人から好かれ、愛されている」に変更すること。

 これはネガティブな自己評価を反転させるだけなので、十分に可能なはずである。(どちらも思い込み、自己予言の類に過ぎないのだから)。

 まずはこの習慣付けから始めてみようと思う。

非モテと認知行動療法

 最近振られたので落ち込んでいます。

 振られると、自分に魅力がないから振られたのだ、とか、自分は女性にモテないので、金輪際恋愛なんてできないんじゃないか、という考えが頭をグルグル巡り、酒を飲めばクダとなって口から漏れ出ていき、隣に座った人を辟易させたりするわけです。

 こうして、無い自信がますます無くなっていき、自分はこれまで何も達成できなかったし、これからもできない、もうダメだなどと考えるに至り、これはまずいと、この本を手に取りました。

孤独な人が認知行動療法で素敵なパートナーを見つける方法

孤独な人が認知行動療法で素敵なパートナーを見つける方法

 

 著者のバーンズ先生によれば、十分に高い自尊心を持っていなければ、そもそも恋愛なんてできないのだ、 と言います。恋愛によって、「いい女を落とした俺はいい男」と自尊心が高まるのではなく、その逆だ、ということです。

 このことは 2 つの点で理解できます。

  • 自尊心を他人の存在で高めようとする行為は、自分の欠乏を他人で埋めようとする行為であり、そんな風に自分のために他人を利用しようすれば、避けられてしまう
  • 自尊心が低いということは自分の評価が低いということだが、そのマインドが他者に向けば、他者を低く評価するということでもある。それはなんとなく嫌な奴なので、やっぱり避けられてしまう

 自分に自信がなく、孤独に押しつぶされそうで、「誰かぼくにかまって〜」という状態では、むしろ人は逃げて行くよ、というわけです。まあそうかなという気がします。

 とにかく先ずは正常な自尊心を取り戻すことにあるようです。本書には次のように書かれています。

孤独感を克服し、自尊心を育てる最も良い方法のひとつは、デートをしばらく控えることです。もし勇気があれば、もっと良い方法は、誰とも親密な関係を持たないようにすることかもしれません!

 これは、自尊心が「一人でいられる能力」と関係しているからです。つまり、自分を承認するのに他者を必要としないということです。

 自分で自分を評価した場合、できることや楽しみがたくさん見えてきます。どうしても一人でしかできないことがあるからです。例えば勉強、楽器の練習、ジョギング等のトレーニング、プログラミング、小説や絵を描くなどは、基本的に一人でする行為です。孤独とはこうした行為に打ち込むことができる機会となり得ます。

 孤独をこの世の終わりのように捉えてしまう思考は、このような機会が見えていないこと、つまり認知の歪みを示しています。もちろん、パートナーといる喜びも、人の基本的な喜びの一つで、親密なスキンシップによる愛情の幸せの大きさは過小評価されるべきでは無いでしょうが、むしろ、こういうことなのだと思うのです。

 つまり、一人の時に、一人の楽しみを見出せず、「全か無か」の思考をしてしまう、その思考パターンは、パートナーといる時であっても、そのパートナーに対して、「全か無か」の思考をしてしまう可能性がある。例えば、少しでもトラブルがあれば、「合わないので別れる」と考えてしまったり、相手の悪いところに目がいって、すぐに相手を否定したりなど。

 世界は、「モテ/非モテ」「いい人/ダメな人」などに二分化される訳ではなく、グラデーションで成り立っています。物事の多義性を理解し、認知の歪みを補正すること。ぼくは認知療法をそのように理解しています。

 例えば、一人の時は一人でできることを探すこと。自分自身でできることを積み上げていくこと。どんな境遇でも楽しいことを探すこと。このために、闇雲にポジティブな感情を持とうとするのではなく、「論理的に考えればそのようにならざるを得ない」という認知ベースで納得しつつ、否定的な感情に対抗していくこと、が必要であり、また効果的なのだと思うのです。

 ぼくの今の課題は、

  • 自尊心を取り戻すこと
  • その自尊心で、独りでも幸福でいられるようにすること

 です。そのためのメソッドと実践をこれから考えていきます。パートナー探しは、恐らくその後のミッションになるでしょう。