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夜間大学院で博士号を取るつもり

博士課程後期の日記、読書、しがない勉強の様子

自分のルールを変える

 自尊心が低いことの最大の弊害は、自分に対する低い予測が、自己予言として成就してしまうことにある。

 例えば、「自分は頭が悪い」と自分を評価したとする。その認知をベースに、「頭が悪い」ことを示す証拠のみを集めてしまうようになるため、結果として「頭が悪い」という予言を叶えてしまうことになる。この悪循環が人間の認知の歪みと癖を定着させ、陰鬱な人間を作り上げていく。「もてない」とか、「才能がない」なども同様であろう。

自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法

自信をもてないあなたへ―自分でできる認知行動療法

 

  この本では、自分に対するネガティブな思い込みから脱却し、より生産的に生きるための認知療法上のメソッドが紹介されているが、実践的で自分にはかなり有益であった。

 自分に対する評価(「頭が悪い」など)は、なぜ下されるのか。行き過ぎた完璧主義からの反動か。またはそのように考えることで、何らかの責任・コミットメントから逃げているのか。

 ともあれ、このような考え方が人を幸福にしないことは恐らく事実であり、ここでいう幸福とは、単純に「日々を楽しく生きる」ということだが、ネガティブな自己評価はそのような幸福感から自身を阻害してしまう。アラン(だっけ?)の言うように、「人は幸福になる義務がある」のであって、幸福でない状態は周囲の人間も巻き込んでトラブルを引き起こしたりもするのでよろしくない。

 

 このような自分への「最終結論」を変えるために、まず最終結論の妥当性をチェックし、別の結論を引き出す必要がある。

 「自分は頭が悪い」と考えていたとする。その証拠として、「学歴が低い」「本の理解速度が遅い」「試験に落ちた」などがあるかもしれない。確かに、過去、入学試験などに失敗したことは事実であろう。だが、一度の試験くらいで人の知性は決定されないし、知性の評価軸はその試験によるものだけではないであろう。自分の興味のあることを勝手に掘り下げていけばいいし、その分野で他者と交流したりし、資格試験に挑戦したりして、知性を磨いていけば良い。

 「もてない」についても同様で、本当に誰からも暖かい言葉をかけられることがなかったか。好意を示してくれる人はいなかったのか。恐らくそんなことはないのであり、人から褒められたこと、優しくしてくれた人のことを考え、そうしてくれた人たちのためにも、「もてない」などと言わないこと。

 

 つまり、できなかったことよりも、できたことを数えるように習慣づけ、最終結論を、

「自分は十分に知性的であり、人生を楽しむことができる」

「自分は人から好かれ、愛されている」に変更すること。

 これはネガティブな自己評価を反転させるだけなので、十分に可能なはずである。(どちらも思い込み、自己予言の類に過ぎないのだから)。

 まずはこの習慣付けから始めてみようと思う。