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夜間大学院で博士号を取るつもり

博士課程後期の日記、読書、しがない勉強の様子

マインドフルネス

 思考の癖を、認知行動療法で改善することを目標とし、ネガティブな自己評価を予言として成就させないように、「できたことを数える」「親切にしてくれた人のことを考える」と言う思考パターンを習慣づけることにより、自己評価を、「自分は物事を楽しみ、仕事をするために十分な知性を持っている」「自分は人から信頼され、仲良くできる」といったものに変えていく試みは、しばらく続けようと思うが、そもそも、そのようなメタ認知を持たずに、目の前のものに熱中していられれば、最も幸福なのではないか。

 ラッセルが「幸福論」で書くように、人間は何らかの外界の課題に我を忘れて取り組んでいる時が最も充実しているのであり、「ここではないどこか」に思いを馳せている状態は、忘我の幸福からは離れてしまっているのであろう。フロー体験等の概念も最近時折耳にするが、集中している時のあの、直面している課題と一体となり、自分自身のことや悩みが消失してしまっているあの感じ、あの感じこそが幸福なのだと言われれば、確かにそうなのかもしれないと思う。

 実際、下の動画によれば、うつ病になると人は集中力が低下し、新聞などが読めなくなるそうで、これは思考の「反芻」、つまり自分自身のことを考えてしまったり、過去の記憶を思い出したり、あるいは、その集中の阻害により「新聞が頭に入らない自分はやはり頭が悪い」と自己再帰的な認識が起きることによるそうだ。

 これは自分にも若干心当たりがあるので恐ろしい。


認知行動療法の基礎と展開7

 つまり集中できなくなることと、憂鬱な自己評価は、表裏一体の関係、または卵が先か鶏が先か、の関係にあるのかもしれないのだ。だとすれば、「集中」することを訓練することで、憂鬱な自己評価から解き放たれる可能性がある。

 集中するためのメソッドに「マインドフルネス」があり、これは目の前の感覚、呼吸や自分の身体の感覚に集中することで、思考を止める訓練をすると言うものだ。

 なぜ思考がよくないのかといえば、思考はそもそもその性質が、現実の一面的解釈であり、何らかの自己正当化を隠された動機においている。ビビリの習性だからだ。これを止めるためには、「考えないようにする」ことはむしろ逆効果で、自分がそう言う思考をしてしまっていることを認識したら、それ以上考えることを「手放し」、目の前の感覚に戻る。この感覚を身につけるために、マインドフルネスの瞑想があるらしい。

 思考を放っておくことができるようになると、智慧が生じると言う。智慧とは、「無情」「苦」「無我」からなり、つまり「思考」による妄想(目の前にないことの拡大、執着)を放置し、集中という幸福のテリトリーを広げられるようになるということだ。

 この練習が瞑想で可能になるのであれば、ぜひ獲得したいメソッドである。

身体感覚、思考、感情などの全ての私的出来事に、気づきが触れることで、それ以上発展せずに消えていくことを繰り返し確認する

 上記で紹介された瞑想法は実践するとして、瞬間への集中こそが幸福への道というコンセプトのもと、いかにして集中の持続時間を長くしていくか、そのトレーニングを追求したい。

 そして、メタ認知なんて、ネガティブであれポジティブであれ、複雑な現実の一面的な理解に過ぎず、現実そのものではないのだから、だとすれば便宜的に、ポジティブな妄想を採用した方が良いということになる。自己評価はポジティブにしておいて、ネガティブな自己評価に集中力を阻害されないようにしておき、集中へのエネルギーを蓄えた方が合理的であろう。